ルワンダの悲劇、キガリ ジェノサイド記念館を訪れて思うこと

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4月7日がどういう日かご存知ですか?

日本から遠く離れたルワンダで起こった大量虐殺のきっかけになった日だそうです。

 

ルワンダに来て、行きたかった場所のひとつ。

首都キガリにあるジェノサイド記念館(Kigali Genocide Memorial)に行くこと。

映画、ホテルルワンダの舞台となった、ここルワンダで実際に起こった悲劇。

ルワンダの虐殺は1994年、4月7日からわずか100日間という短い間に、ゆうに80万人もの命が失われたという。

その記録を記す場所があるので今回、ジェノサイド記念館と映画の題名にもなったホテル ミル コリンズへ訪れてみた。

Contents

映画「ホテル ルワンダ」

まず、私がルワンダの虐殺について知るきっかけになった作品について、2004年に公開された、ルワンダの虐殺をテーマに実際のあった史実の映画。

主人公はホテルの副支配人のポール(フツ族)が過激派フツ族がツチ族を虐殺されている事実をしり、妻(ツチ族)と多くのツチ族をホテルに匿い約1200人の命を救ったという話。

引用:amazon.co.jp

 

日本でも有名になり、一度は耳にしたこともある人も多いかもしれません。

この映画を見るまでは、私はルワンダの虐殺が誰と誰が対立して、どのように起こったのかを全く知らなかった。

しかしこの映画を見ることで初めて、この悲劇の大枠を理解することができた。
(ただ、この映画はこの虐殺のほんの一部の事実なので、なぜこのような過程になったのかなどは、読み取りにくいです)

ルワンダに来る多くの観光客は一度は耳にし、見たこともあるかもしれません。

この虐殺についてどんな対立があったのかなどの大枠を把握するにはオススメです。

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ルワンダの虐殺の始まりについて

 

ことの始まりは、1916年、ルワンダをベルギーが植民地化したところから。

当時からルワンダではツチ族とフツ族と分かれていましたが、その違いはほとんどなかったと言われています。

ツチ族は牧畜を主流に、フツ族は農耕を主流にしており、なんとなく違うぐらいで家族を作ったり、友人関係を築いていました。

しかし、ベルギーが植民地化することで、二つの民族を明確にわけ、

なんとなく背が高くてすらりとしているからという理由でツチ族を優秀な民族だとして優遇したそうです。

そしてツチ族に中間管理職として特権を与え、フツ族を管理させていたと言われています。

そうすることで、ベルギーが統治しやすいだけでなく、フツ族の不平や不満をツチ族へ向けるようしました。

ベルギーからの独立後も、その差別意識が続き、

約30年もの間、フツ族とツチ族の紛争が続いていたそうです。

 

1994年当時、ラジオでこんな放送が流れていたそうです。

「ツチ族はゴキブリだ!奴らをののさばらせておくのは危険だ!」

そんな放送を聞くことで、国民の中に危険意識と差別意識が刷り込まれていきます。

そして、4月6日、当時の大統領(フツ族)が何者かにより暗殺され、この大量虐殺が始まります。

ツチ族を根絶やしにするために、隣人、友人を裏切り、罪のない子供たちを虐殺していきます。

それは100日間にも及び、80万人もの命が失われました。

 

ジェノサイド記念館

虐殺博物館は、街から少し離れているので、市内からはバイクタクシーで行くのが、最も簡単。だいたい500フラン

オフシャルHP

建物は近代的な美術館、博物館のような綺麗な外観と内装、またこの建物は日本の支援も受け建てられている

入場は基本無料
オプションでガイドをつける事も出来る。100ドル(10人グループまで)
撮影:20ドル

記念館に入るとまず、シアタールームに通され、10分程のビデオを見せて貰える。

ビデオの内容は虐殺を生き延び、生活している人々の声。

虐殺を目の当たりにし、親や兄弟が殺されると言うことの事実。

ビデオはルワンダ語にフランス語と英語の字幕。

 

 

ビデオの後、記念館へ移動。

館内の展示は、ルワンダの先住民族の話しから、植民地時代の歴史、そして虐殺の起こり、虐殺の事実へと流れて行く。

パネル展示もルワンダ語、フランス語、英語表記で記載されている。

 

また、時よりショートビデオがあり、その時の状況を、生存者のインタビューを介して知る事が出来る。

虐殺後の映像はかなり衝撃的な映像が流れる。

道端に倒れている無数の遺体。

頭部に傷を負った子供達。

死後、日数が経ちミイラ化した遺体。

 

パネルコーナーを抜けると、展示コーナーへ

犠牲になった人たちの写真と、無数展示されている骸骨。

骸骨なんて普段目にする事はないが、こんなにもたくさんの骸骨を見る事なんて、今までなかった。

虐殺は特に女性や子供達を狙ったとされている。

その理由は、次世代の芽を摘むため。

犠牲になった子供達の写真と死因が並べられたコーナーは、

何故、こんな可愛らしい子供達が犠牲にならなければいけないのかと、やるせない気持ちにさせられる。

 

記念館から街中を眺めた様子。

ビルがあり緑あり、多くの人々が生活している中で、大量虐殺があったとは今でも想像できない。

しかし、その事実がこの場所であったことはこの記念館が記している。

現在までの復興には生き残ったルワンダの人々の努力があってのことなのは間違いない。

その努力は「アフリカの奇跡」とも言われている。

 

ムランビ虐殺記念館

このジェノサイド記念館の他に、ムランビ地方にはムランビ虐殺記念館という施設があります。

当時、この施設は小学校で、4万5千人もの人々が殺害された場所として、今でも残っています。

この施設では虐殺の犠牲となった人々の遺体が展示されています。

私たちは実際に行くことができませんでしたが、もっとこの事件について知りたいと思われる方は訪れてみてもいいかもしれません。

オフシャルHP

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ホテル ミル コリンズ

“ホテル ミル コリンズ/ Hotel des Mille Collins”

映画「ホテル ルワンダ」の舞台となったホテルで現在でも、一流ホテルとして運営している。

新市街がある丘に立地しており、現存では街の中心部となっている。

ホテルの趣きは映画の頃とはだいぶ様変わりしている。

エントランスの作りがかろうじて、映画で観たホテルの雰囲気を残しているぐらい。

入り口には、「NEVER AGEIN」虐殺を繰り返さないという誓いの記念碑がある。

ホテルのプールは当時、水道を止められた時に飲み水として使ったという。

ホテルの内部は超一流ホテル、非常に綺麗な内装で、お客さんも欧米のビジネスマンやバカンスに来ている人が多いように感じる。

現在では、虐殺があったとは思えないような雰囲気だが、記念碑があったりと平和な中にしっかりとその記録を残している。

 

ジェノサイド記念館を訪れて

この事実は、ほんの20数年前のこと。

私が小学生ぐらいだった頃、毎日学校に行って、遊んでいたあの時、世界のどこかでは想像もできないような事件が起こり、苦しんでいた人々がいたと思うと、やるせない気持ちになる。

 

毎年4月7日にルワンダではジェノサイドメモリアルデーとして追悼週間となり、全国で追悼式典が開催されています。

日本から遠く離れたこの地で起きてしまった悲しい出来事から、

顔立ちや出身、宗教の違いでの人種差別、

メディアの情報だけを信じるのではなく、自分の考えを持って行動することなど、

私たちも学べることがきっとあるはずです。


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